大昔、原始の人々は大いなる自然のサイクルに従い、狩猟、漁猟、採取などにより糧を得て平和に暮らしていました。人の心は身近に存在する自然への畏敬や親近を通じて、緑豊かな自然と深くつながることができる。
バラエティに豊む海陸の恵みを拠り所として暮らす中、人々は集落の習慣を通じて、明確で具体的な役割が与えられました。集落の仲間や家族とともに喜びや苦しみを分かち合い、苦難を乗り越えながら、人々は生きる意味と価値を見い出します。
ただ動物のように本能に任せて生きるのではなく、「自分がされたくないことを他人にしない」という気持ちを大切にして、自らの欲求をコントロールすることを学びつつ、人間としての道徳観(内的基準)を少しずつ作り上げていきました。
やがて、地球上のさまざまな地域のコミュニティに優れた指導者が現れて、国家を樹立し始めます。ある地方の王朝は法律による秩序作りを始め、「他人の所有物を盗んではいけない。」と市民に告知。法のルールを破った者には刑罰が課せられるようになりました。
国が定めるルールは、人々が意思決定の際に使用する大きな判断基準になっていきます。
法治国家の制度を通じて、人々は道徳的な義務と法的な義務との双方を背負うようになり、その心は自然の道徳的秩序と社会の法的秩序との間で揺れ動くようになります。
18世紀になると、国家の法律制度について、フランスの哲学者モンテスキューが、『法の精神』を著して三権分立を主張します。国の権力は立法・行政・司法でバランスをとり、国民の自由と権利を保証すべし、と訴えたのです。
この政治理論の影響は極めて大きく、人々は「健全なルール制度こそが平等で自由な暮らしを保証する!」と信じて立ち上がりました。フランスで市民革命が起きて絶対王政が倒された事が始まりになり、世界中に米国、イギリスなどの民主国家が次々と誕生していきます。
私たち日本人も民主国家に暮らしています。この国の法体系を樹木にたとえるなら、憲法が中心となる幹であり、それに従い国会で可決された刑法・民法・商法などの法律が枝となって国民の義務を定め、また、政令・省令・規則といった小さな政省令が葉となって法律実施に必要な行政の手続きや命令を決めています。
法律に違反する事案が起これば、裁判所で争われ、司法上の判決によって判例が生まれます。個々の判例には、特定の法律に対する裁判所の基本的な考え方が示されているので、将来における類似事件の判決を予測する上で重要な資料になります。司法の歴史にて蓄積されてきた膨大な判例が大きな根となり、法体系という樹木を支えています。
この法の樹木は、国の三権(国会・内閣・裁判所)を含んだ「健全なルールの運用スタイル」を示し、モンテスキューの「法の精神」を象徴したものと言えます。
国家の最高法規である憲法の理念は、人々の道徳心を最大限に尊重しています。
【日本国憲法前文の抜粋】
....日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。...
それでいて、法律の執行手続きは、証拠採用主義によって合理的な事実の認定を強く要求するため、結果として、法治国のルールは人間の内的な心ではなく、人間の外的な行為を裁くことに重きを置くようになりました。
司法の裁判において、犯罪者の行為を調べて処罰を下すプロセスが重視されるため、人間の道徳心がおろそかにされる危険性が生まれたわけです。