私たち人間の心は、美の素晴らしさに感動したり、醜のおぞましさに嫌悪したりすると、「その思いを誰かに伝えたい!」というパワフルな表現意欲を生み出します。人間の肉体に宿る魂は、生来的に「美しい環境」や「生命の繁栄」を願っており、青い空、透明な海、夕日の輝き、星々の燦めき、または、命がけで子供を救助する母親の姿などに深く感動を覚えます。
人間の心には大宇宙の働きや大自然の力が作用しており、美しい自然や美しい人の行為を尊重して大切にすることで(あるいは、醜い行為を批判することで)、自身の生存欲求が満たされたり、子孫の繁栄が保証されたりすることを人間の健全な感性は理解しているからです。
美の探求は、自らの肉体から湧き上がる魂の叫びを何らかの形で表現されて始めて意味を持ちます。胸の中で、どんなに「美のすばらしさ、あるいは醜のおぞましさを誰かに伝えて、分かち合うべきだ!」と思っても、その思いを表現して他者に伝えない限り、美の意識はないに等しいです。
実際、政治家や官僚の不正を目撃し、その人物に対する嫌悪をアーティスティックに表現しようと決意したとします。そして、キャンバスを用意して筆を持ったとき、芸術家の好奇心は「醜の正体」を暴こうと動き始めます。
・その官僚が不正を働いたことには、どのような社会問題が潜んでいるのか?
・そのような職場環境を生み出す原因は何か?
・結果的に、世の中(国家や地球)はどのように変わっていくだろうか?
・次世代の若者は安心して平穏な暮らしができるだろうか?
・私たち人間はどのように生きるべきか?(美とは何か...)
などの考えが浮かび上がり、材料集めを進め、研究分析を行い、自国内に暮らす人々の現実感を読み解いてゆくと、やがて、その時代にふさわしい一つのテーマが生まれてくるでしょう。
作品のテーマが決まり、実際に描き始めると、今まで気づかなかったような情報や素材が自然に目に入ってくるようになります。作品を創作している中で新たな発見があると、自らの感情がふたたび高ぶり、魂が震えるものです。
このような美の形象化を通じて、より洗練された表現を模索する中で、新たなアイディアやコンセプトが心から湧き上がって、作品は変容を遂げていきます。あなたの全身全霊を傾けて試行錯誤を重ね、作品の全体像が浮かび上がってきたら、次に、表現の中にある余分な要素を徹底的にそぎ落としてください。そうすることで、一つの洗練された作品が完成をむかえるでしょう。
美しく輝く芸術作品を静かな場所に置いてじっくりと鑑賞し、自問自答してみましょう。
・この作品を展示することで、鑑賞者たちはどのように感じ取るだろうか?
・世の中は良い方向へ向かってくれるだろうか?
・生命の繁栄に貢献してくれるだろうか?
さまざまに思いを巡らせ、自身の作品を人々に展示しようと覚悟を決めた瞬間、あなたは社会問題に主体的に係わろうとする強い意志と高い精神性を発揮する契機を生み出します。
地球上において、異なる時代や土地に生きる芸術家らが、自らの人生を通じて、社会のさまざまな断面を作品に反映させてきました。
多種多様なアート作品が積み重なってゆくことで、私たち鑑賞者は、さまざまな人間の生き方を知るとともに、異なる価値観や考え方などを認めようとする姿勢を持つことができます。数多くの作品を鑑賞し、自分なりに消化と整理を進め、人間の本質を深く理解できるようになると、豊かな受容性が育まれ、現代社会の中で規定された枠を広げていこうとする意欲も促されます。
美しい芸術(生命を繁栄に導く芸術)を鑑賞し、自らも創作に取り組む体験を通じて生まれる意識空間は、現実感覚と非現実感覚が交差するしなやかさがあります。故に、その意識空間は、既成概念に囚われない世界観をはぐくむ「記憶の美術館」となり、人々の価値観も社会の先行きも不透明な時勢において、私たちに進むべき方向を示唆し得る美の思索源となってくれるでしょう。