The cause of the accident, interesting than the accident itself. Cicero
事故の原因は、事故そのものよりも興味深い。

= 2 醜・悪・偽の本性 =

【マインド機能の一斉蜂起】

 

 美しい芸術の創作を通じて、私たちの自己意識は、心の世界にて力強い統率力の獲得を目指しますが、もし醜・悪・偽の誘惑に負けて「致命的な誤り」を犯すようになると、内界の統率力を失なってしまいます

 

 ここでは、邪悪な誘惑に負けて不正を働いた財務官僚が、国会の証人喚問で白々しい嘘を言い放ち、民衆から嘲笑された場面を想定してみます。彼の心の世界で、どのようなことが起こるのかを観察してみましょう。 

 

直感機能:不正に関与するなと警告したのに無視するから、こうなったんだ。(後悔)

精神機能:故郷の誇りに傷をつけてしまった。(嘆き)

思考機能:真実を偽るために頭を働かしてしまった。(自身への怒り)

肉体機能:喚問の準備で徹夜し、疲労が溜まった。(むなしい)

愛情機能:妻は私を軽蔑し、離婚を決意するかもしれない。(不安)

集団機能:組織にいる部下たちが俺を嘲笑していた。(憎しみ)

 

 彼の自己意識が醜勢の誘惑に負け、致命的な誤りを犯して「自身の行動の大義」を失うと、彼の6つのマインド機能が一斉に反抗を始めて心がばらばらな状態となります。

  

【崖っぷちの自己崩壊感】

 

 心の世界において、彼の自己意識が個々のマインド機能らの騒ぎを静められなくなると、心的エネルギーの消耗が激しくなります。加えて、人の自己意識が不自由になると、エネルギーの産出も減ってしまうため、やる気の減退も著しくなります。

 

 心の疲労が重なる中で彼の自己意識は、人々から不正を追及されるため、彼は自分を尊い存在だと思おうにも拠り所が見つからず、自問をすれば限りない自己軽蔑に陥るばかりです。今を逃げ切ることに精一杯になり、己を律する意思が砕けて、自分で考えることも、感じることも、未来をイメージする力も失っていきます。

 

【魂の売却儀式】

Life at the maximum of the tragedy of the people, even if the stomach alive, but something his inside is dead. Henry David Thoreau
人の人生で最大の悲劇は、生きてはいても、彼の内部で何かが死んでいることだ。

 

 彼の自己意識は、その日その日の出来事にどうにか対応する中で強い劣等感を覚えると、どんどんと貧しい発想になっていきます。

 

 つかみどころのない彼の自己意識の様子を例えるなら、、

彼の自己意識は、必死にあがきながら霧がかった岩山を登り迷っていると、崖っぷちに立たされます。そして、暗黒の霧が徐々に薄れてくると、邪悪(醜・悪・偽)の力が現れて、魂の契約を結ぶようにと催促します。 

 

 ◆時として、致命的な過ちを犯した人の自己意識は、心にわずかな光を残しており、己の魂だけは売りたくないと抵抗するが、自らの罪を認めて人々に謝罪することも拒否。結局、進退がきわまった末に崖から飛び降り自殺をする。 

 

 ◆また時として、致命的な過ちを犯した人の自己意識は、邪悪な力に命乞いをし、自らの血を紙切れに垂らして署名。結局、己の魂の売却によって生き延びようとする。

 

【魂のない奴隷の屈折】

 

 自らの魂を売って心が死ぬ。それは彼の自己意識が、心の世界の君主から、邪悪な力に屈する奴隷になり下がったことを意味します。それまで、彼の自己意識は内界のリーダーとして6つのマインド機能を統率し、将来の目標を定めて、自分らしい生き方をしていました。 

 

 しかし、今の彼の心の世界が壊れてしまい、無秩序になったため、自分自身で感じて考え、判断するというよりも、むしろその場その場でなんとか反応している状態になります。突如、「その猫を殺せ!」といった邪悪な声が心に響き、残虐な衝動に駆られる時もあり、自らの存在に不安さえ覚え始めます。

 

 彼の目からは輝きが消え、寝ても覚めても胃腸に不快感を覚えるため、ゾンビのように顔色も悪くなってきます。不気味な人相になった男は、やがて、開き直り、邪悪な命令につき動かされながら、醜・悪・偽の探求を今まで以上に、そして淡々と進めるようになります。

 

【欲望・恐怖・憎悪の情念】

 

 魂の抜けた人間(醜人)は、裏口を巧妙に通り抜け、意地汚く弱者を食いものにし、厚顔無恥で往生際が悪い。彼らは、開き直って、不正による資金獲得とその証拠隠滅の策略を進める一方、自己弁護の理由書を作り始めます。

 

・人間はすべて自分と同じようなもの

・勝つためには、どんな手段を用いても許される

・同僚や政治家も共犯者なので、不正は絶対に隠し続けられる

・不正をして資金を得たからこそ、繁華街で楽しむことができる

  

 この醜人たちは、「自分の判断が正しかった」と信じるための自己弁明を始め、「正しい自分を責める社会の方が間違っている」と考え直すことで、自らの立ち位置を再構築していきます。結果として、健全な市民を恨み、憎悪し、復讐を企むことで自分を震え立たせることになるでしょう。 

 

【邪悪な力の根底】

 

 心の世界において、調和と不調和という二つの在り方について考えてみると、両者は互い無関係ではありえません。「大いなる調和」を導く力は美・善・真から生まれ、反対に、「大いなる不調和」を導く力は醜・悪・偽から生まれます

 

◆美:生命を繁栄に導く力【美しい芸術:感性】

◆善:世界を平和に導く力【善い哲学:心性】 

◆真:文明を発展させる力【真の科学:知性】

 

◆醜:生命を滅亡に導く力【醜い芸術:感性】  

◆悪:世界を戦争に導く力【悪の哲学:心性】 

◆偽:文明を破壊させる力【偽の科学:知性】 

 

 特に、不調和側にある醜の本性は、自然からの分離、離脱、疎隔によって、自然を破壊する方向へと向かう力であり、悪と偽を手下にして、人々を「心の病める醜者」に変えようとし、地球の生命の根絶を企む最も危険な存在です。

 

 それでいて、美と醜との衝突は、私たちの内面で生じるものであり、誰しもがのがれることのできない根本的な心の危険性、個人の感性に帰依する問題を含みます。よって、まず、私たちは自己意識を成長させ、心の世界を安定させる必要があります。

  

 その安定のため、美しい芸術を通じて美の価値を再認識し、美の守護者となって美の尊厳を重んじる中で感性を磨く。その次に、人々の芸術の輪で社会を安定させる取り組みに中で、人々の怒りと幻想を操作し、人々の怒りを誤った方向へと噴出させようとする醜いの勢力に対峙することが求められます。